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シンガポールでC4カクタス買いました

シンガポールでカクタス買いました。日本発売まで実際乗ってみての感想等をお届けするのが目標です!がシンガポールの話もしまーす

シンガポールの本屋がなくなるワケ…たぶんあってる

キアスー参戦して、週末に娘はspeech&dramaの英語のクラスに通っていますが、余裕で'Got have.'(あるよ)とか言っちゃってます。う~ん、高い金払って通わせてる意味あるのかな?まあ、かわいいからいいか。(←よくねぇ)

 

それはさておき、先日、同じクラスの子のお母さん(中華系)が他のお母さんと世間話をしているのを聞いていると、

 

「その学校に行ってから、ウチの子、なんか外国語の歌を歌うようになっちゃって…」

 

と困惑しています。

 

で、その外国語っていうのが、なんと中国語だったんです。

 

この辺の矛盾に満ちたもやっとした感覚…これぞシンガポールって感じなんですが、お分かりになりますでしょうか!?

 

シンガポールでは、 英語が国民統一のシンボルみたいになっており、学校教育も英語で行われています。一方、中国語やマレー語やタミル語などのそれぞれの民族のルーツになる言語は、「外国語」として学校で勉強することになります。

 

実用性で考えれば、それでよいのかもしれませんが、結果、自分の民族の言語・文化・価値の継承に支障をきたしているように思います。

 

よくソウルフードなんていう言い方がありますが、英語はシンガポールのソウルランゲージにはなり得ないと思います。いくら学校で英語で授業を受けたとしても、自分の両親のルーツの言語が子供の人格形成のルーツになるのが自然だからです。それではじめて、世代間で文化や価値観の継承ができると思うのですが、そう考えないシンガポール人が増えているようです。昔は、外では英語を話し、家庭では自民族の言語で話す、というのが一般的だったのですが、最近の若い世代だと、家でも英語で話すようになってきているそうです。

 

あと、こっちの人って、どう見ても英語で話してるときより、中国語で話してるときのほうがめちゃくちゃ楽しそうに話してますから、やっぱりそっちのほうがしっくり来るんじゃないかと思います。英語だとどうしても取って付けられた感があるのではないでしょうか。

 

よく思うのですが、シンガポールの人は何語で頭の中で考え事をしているのでしょうか。これは本人でないとわからないですが、やっぱり自民族の言葉なのではないでしょうか?

それが、これからは英語をベースとした思考に変わっていくのでしょうが、それはソウルランゲージではないですので、「私って何人?」となってしまうでしょう。

 

あと、これもよく思うのですが、思考のベースが英語なのだったら、本屋がもっと増えてもいいと思うんです。ですが起こっていることは逆で、大型書店はどんどんつぶれて、ユニクロとかになっちゃってます。

 

思うに、英語はあくまで実用で身に付けているだけで、英語で深く思考したり、抽象的な理解をするのは難しい、という人が多いのではないでしょうか。

 

一方で、自然に話せる自民族の言葉はないがしろにされていくわけですから、結局、どちらも中途半端なものになってしまい、本を読みたくても読めない、あるいは読む気が起きない、という人が増えているのではないでしょうか。

 

日本語の本を読むのと、英語の本を読むのって、ぜんぜん違いますよね?英語で書かれた白人系の文章を読むと、価値観も違いますし、論理は理解できてもやっぱりしっくりきません。日本人が書いた日本語の本は、やっぱり肌にしっくりきますし、読んでて楽しいです。

 

どんどんつぶれる書店を見るにつけ、シンガポールで教育を受けて、英語至上主義で突き進んでいくと、質の高い読書を経験する機会がどんどん奪われてるんじゃないか、と思う今日この頃です。